It's the Time to Surface


Especially now, I feel that I've been able to pursue more than ever "Why I'm here now."

I'm grateful.

I received a message "Renting the body" the day before yesterday.

It means that this carbon-based body belongs to the earth.

We, who are born consciousness, borrow a body born from the earth.

And that we are borrowing means that the return date will come someday.


I thought, I see.

If we have a sense of borrowing the body, we become more conscious of how to use this limited time while having a body.

Do you want to feel stirred by seeing the news on TV or newspaper, be in deep sorrow or feel abundance?

There are many choices, and I become more conscious of what I choose to spend my time on.

Of course there may be people whose purpose is to get a certificate, pursue a career and achieve something.

Some people might want to establish a solid identity.

However I see that only as an illusion; moreover I've done that life many times.

Like many times.

I rather feel that my purpose this time is living outside of that loop of habituation.


Not to get into the stories that are given, but to live myself.

I was able to do that naturally when I was a kid, but I became too involved with society and abandoned myself.

For a long, long time until now I feel like I had been focusing on how to play a role in those given stories.

I sigh towards the long length of time I was playing.

But it wasn't the sigh of regret, it's the sigh of relief that I've done enough.


Now I am rising from the depths of an ocean where I once had dived deeper and deeper.

To the sparkles of the surface.


Taiyo

今は特に、「何のために今ここにいるのか」ということを、これまで以上に追求できている気がする。

ありがたい。

一昨日は、「肉体をレンタルしている」というメッセージが降りてきた。

つまりこの炭素ベースの体は地球のものであるということ。

すでに生まれていた意識である私たちが、地球から生まれた体を借りている。

また、借りているということはいつか返却日がやってくるということ。


そうか、と思った。

借りている感覚であれば、この体のある限られた時間をどう使いたいかということにより意識的になる。

テレビのニュースや新聞を見てザワつきたいのか、悲しみに暮れたいのか、豊かさを感じて過ごしたいのか。

いろんな選択がある中で、自分は何を選択して時間を使いたいのかにより意識的になる。

それに意識的になったときに僕にありありと見えてきたのは、人間社会という小さな枠の中で何かを成し遂げることが、今回のこの体を持ってした僕の目的ではないということ。

もちろん、資格を取って、キャリアを積んで、何かを成し遂げることが目的という人もいるかもしれない。

確固とした自己を確立したい人もいるだろう。

しかし僕にはそれはもはや幻想にしか見えず、さらにはもうそのような人生は何度もやったような気がしている。

何度も何度も。

その慣れや癖でやっているループから抜け出して生きることが、むしろ今回の目的のような気がしている。


与えられているストーリーに入り込まずに、自分を生きる。

子供の頃はそれが自然とできていたはずなのに、社会に入り込みすぎて自分のことは放ったらかしにしていた。

今まで長いこと与えられたストーリーの中で、どう役を得て演じていくかに焦点を当てていたように感じる。

本当に長いこと遊んだなとため息が出る。

後悔のため息ではなく、もう十分やり尽くしたなという安堵のため息。


今は深く深く潜っていった海の底から浮上していっている。

水面のきらめきに向かって。


太陽

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